主イエスは今日の箇所でも、パリサイ人たちを招き続けておられます。ご自分へ、いのちへと。
【わたしのことばにとどまるなら】
「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。」(31b)。救いとは一瞬の回心の体験をいうのではありません。体験は人によってさまざまです。けれどもすべてのクリスチャンに共通しているのは、主イエスの弟子であること。主イエスについて行き、主イエスに養われ、主イエスを喜び、主イエスと共に喜び、主イエスに似せられていくことです。どうしたら主イエスの弟子でいることができるか。それはがんばって、奉仕をするとか、霊的な人になる、というのではありません。「わたしのことばにとどまるなら」とあります。主イエスがここまで語って来られたことば、私たちをいのちある者とすることば、「生きよ」ということば、を忘れるな。心とたましいに刻めとおっしゃるのです。
【真理はあなたがたを自由に】
先週の箇所に「わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになるからです。」(24b)とありました。主イエスは私たちをいのちある者とするお方。このお方を受け入れないならば、その人は罪の奴隷で、罪の中に死にます。罪と死の支配のもとにとどまるのです。
けれども、主イエスの弟子は自由です。「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」はまさに福音。真理とは主イエス。「生きよ」という主イエスのことばに、つまり主イエスにとどまるものは、罪から解き放たれて愛し合い、死から自由にされて永遠にその愛を生きるのです。もうすでに今から。
しかしユダヤ人たちは言います。「私たちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません。」(31)。このユダヤ人たちは主イエスを信じた人たちであったことは不思議です。このことは信仰者が歩み続ける者であることを語っています。昨日よりも今日、今日よりも明日、ますます主イエスの「生きよ」のことばにとどまって、ますますいのちある者とさせられていきます。
【ほんとうに自由に】
「奴隷はいつまでも家にいるわけではありませんが、息子はいつまでもいます。」(35)と主イエスはなおも語ります。神の子主イエス、子なる神イエスは永遠に父とひとつであって、父の心を実現します。父の心は、私たちを解き放つことを願っています。かつて、エジプトで奴隷であったイスラエルを解き放ったように。
また自分の作った歌で恐縮なのですが、出エジプト記の説教集を出したときに「栄光への脱出」というのを作りました。「つみの奴隷からおそれの奴隷から解き放つ私の神/イスラエルのうめきを腰をかがめて聴き取る神/そのままほうっておけないでモーセを引き出した」。
私たちもうめいています。罪の支配は巧妙で悪らつです。私たちの過去の古傷や痛みにつけこんで私たちを押さえつけます。「お前のようなものはだめだ。あんなことをしたではないか。言ったではないか」と言って顔を上げさせないのです。神を見上げさせないのです。また「あの人を見てみろ。お前にあんなことができるか。できないだろう。そんなお前をみんなも愛していない」と言って、私たちを仲間から切り離します。ほんとうに罪の力、罪の支配は憎むべきものです。
けれどもそんな罪の支配を打ち砕く主イエスのことばが響き渡ります。「ですから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。」(36)と。先週は有賀鉄太郎のことを語りました。神は私たちを「あらしめる神」「あるようにさせる神」。ご自分がそうあらせたいと思うように、私たちをさせる神。神の願いは私たちを自由にすることです。私たちが神と人を愛することを、なにものにも妨げさせないことです。いつも語るみことばですが、「そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。」(へブル2:14-15)と。この自由を私たちは愛するために用います。理性も感情も存在のすべてを傾けて。
礼拝プログラム
■教会学校(9:30-10:15)
- 「ダニエル① 汚れから離れる」ダニエル記1:8~16
■主日礼拝(10:30-11:45)
- 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
- 招詞:イザヤ章60章2節
- 賛美:10①③⑤
- 交読文:45 詩篇146篇(新聖歌 P.863)
- 牧会祈祷:大頭眞一牧師
- 主の祈り:新聖歌 P.826
- 賛美:265①③
- 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
- 聖書:ヨハネの福音書8章31-38節(新約P.197)
- 説教:「自由にする神」大頭眞一牧師 ※明野より
- 聖餐:(心を合わせて加わりましょう)
- 賛美・献金:349①②③
- 感謝祈祷:(明野)
- 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63)
- 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
- 祝祷:大頭眞一牧師
- カテキズム(左上に掲載):司会者 と 報告:(裏面に掲載)司会者
- 祈祷:司会者