今日の箇所は、8章12節から59節まで続く主イエスとユダヤ人たちとの対話の一部です。実は7章にも9章にもそんな対話が記されています。しかしそれが「対話」であったかどうかは怪しいところがあります。ユダヤ人たちはとても頑なだからです。「対話」というよりは、主イエスが招いては跳ね返されるのです。神であるイエスが。けれどもそれでも招き続けるのが、まさに愛なる神の、神さまらしさです。
【主イエスの父】
この個所では「父」が問題となります。ユダヤ人たちは「私たちは淫らな行いによって生まれた者ではありません。」(41c)と言います。これは主イエスに対するあてこすり。主イエスの母マリアは聖霊によってみごもりましたから、マリアの夫ヨセフと主イエスには血のつながりはありません。そこからイエスはマリアの姦淫によって生まれたのだ、という悪意あるうわさが流れていたようなのです。
けれども主イエスはもちろん神の子、子なる神です。先週の38a節にも「わたしは父のもとで見たことを話しています。」とありました。主イエスは神。父なる神のもとから来た子なる神。私たちにいのちを満たすために、私たちのいのちをあふれさせて世界を回復させるために、人となった神なのです。
【ユダヤ人たちの父】
ところがユダヤ人たちも「私たちにはひとりの父、神がいます。」(41d)と言います。「私たちの父はアブラハムです。」(39b)とも。確かにユダヤ人は神の子として、神に選ばれた民です。神は、破れてしまった世界(神との関係が破れ、人との関係が破れ、被造物との関係が破れた世界)を回復するためにアブラハムを選び、アブラハムからユダヤ人を起されました。神とともに働くために。
ところが彼らはアブラハムのようではありません。神の子なら神の心を知り、神とともに働きます。ところが主イエスが「ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに語った者であるわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことをしませんでした。」(40)とおっしゃったとおり、彼らは神の心を知りません。主イエスが神から来られた子なる神であることを知らず、知らないから受け入れようとせず、かえって主イエスを殺そうとします。神の心の実現をさまたげているのです。
【悪魔が父?】
「あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。」(44a)は注意が必要な個所。かつてここから「ユダヤ人は悪魔の子」と考える誤りを、かつての教会はおかしました。ナチスもホロコーストの根拠として利用したようです。
けれども、もちろん主イエスはそんな意味でおっしゃったのではありません。「悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。」(44b)、「なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。」(44e)とあります。悪魔とは悪の力です。私たちを支配して真理である主イエスから遠ざける力。いのちである主イエスから私たちを遠ざけて、罪の中で死んだ状態にとどまらせる力なのです。
【いのちを選べ!】
けれども主イエスが「神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」(47)と言うとき、それは断罪の言葉ではありません。主イエスは選ばれた神の民であるユダヤ人を惜しみ、死ではなくいのちを選べと招いておられます。罪の中で死んだように生きるのではなく、神とともに世界の回復のために神の心を生きることへと。
そして何より忘れてはならないのは、十字架の上で悪魔はすでに打ち砕かれていることです。創世記に「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」(3:15)とあります。悪の力が私たちを主イエスから引き離そうと、激しく働くように感じることもあります。けれども、私たちは神さまに抱きかかえられていることを忘れてはなりません。試練も誘惑もさまたげを感じるときも、私たちはそれを神さまの胸の中で感じているのです。そのために主イエスが十字架でご自身を与えてくださったからです。このことを心に刻むために、今、聖餐に与ります。
礼拝プログラム
■教会学校(9:30-10:15)
- 「ダニエル② 三人の若者たち」ダニエル記3:8~25
■主日礼拝(10:30-11:45)
- 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
- 招詞:イザヤ章60章2節
- 賛美:18①②
- 交読文:46 詩篇148篇(新聖歌 P.864)
- 牧会祈祷:大頭眞一牧師
- 主の祈り:新聖歌 P.826
- ワーシップ:「キリストにより(オリジナル曲)」Bless
- 賛美:190①②
- 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
- 聖書:ヨハネの福音書8章39-47節(新約P.197)
- 説教:「真理を語る神」大頭眞一牧師 ※信愛より
- 聖餐:
- 賛美・献金:453①②④
- 感謝祈祷:
- 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63)
- 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
- 祝祷:大頭眞一牧師
- カテキズム(左上に掲載):大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
- 祈祷: