2023/06/05

礼拝メッセージ「一粒の麦の神」ヨハネの福音書12章20-26節 大頭眞一牧師 2023/06/04


マルタが注いだ香油を香らせ、ろばの子に乗ってエルサレムに入られたイエス。受難週の最初の日である日曜日のできごとです。5日後の金曜日の十字架はもう目の前に迫っています。

【栄光の時】

ここまでヨハネの福音書は、イエスの時はまだ来ていない、と繰り返してきました。イエスは母マリアに「わたしの時はまだ来ていません。」(2:4)と語り、兄弟たちに「わたしはこの祭りに上って行きません。わたしの時はまだ満ちていないのです。」(7:8)と言っています。8章でもヨハネは「イエスは、宮で教えていたとき、献金箱の近くでこのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。」と記しました。ところが、棕櫚(なつめ椰子)の主日に、主イエスはついに宣言されました。「人の子が栄光を受ける時が来ました。」(23)と。

主イエスの時、主イエスが栄光を受ける時は、何人かのギリシア人たちがイエスにお目にかかりたいと、願い出たときに訪れました。ギリシア人がユダヤ人の祭りである過越の祭りに来ていたというのですが、当時、少数ではあってもそういう人びとはいたようです。主イエスはユダヤの人びとがなつめ椰子の枝を振って「イスラエルの王」と呼んだ時ではなく、このギリシア人たちが面会を願った時に、ご自分の栄光の時が来た、とおっしゃったのでした。

主イエスはご自分の十字架、そして復活・昇天・聖霊降臨が、ユダヤ人だけではなく、すべての人のためであることをご存じでした。ですから「わたしは、すべての人に神のいのちを与えよう。このギリシア人たちにも。その時が来た。すべての人にいのちを注ぐ栄光の時が来たのだ。」とおっしゃったのです。その声はユダヤ人でない私たち一人ひとり、ここに集っている日本の、韓国の、カンボジアなどの一人ひとりにも響いています。主イエスはあなたを救うのでなければ満足なさらないのです。あなたが神の民に加えられていないことに耐えることがおできにならないのです。ご自分のそばに、あなたがいるのでなければ!

【一粒の麦】

「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」(24)と主イエスは語ります。言葉を補えば「わたしは死ななければならない。わたしが死ななければ、あなたがたにいのちをあげることができない。しかし、わたしが死ぬなら、あなたがたは生きる。神と関係を持つことができず、罪の中に、いのちなく死んでいたあなたがたは生きる。あなたがたの中にわたしのいのちを注ぐとき、あなたがたに血がかよい、心が愛の鼓動を打ち始める。そうして、あなたがたから世界に向かって愛があふれだす。そのためにわたしは死のう。あなたのために喜んでいのちを投げ出そう」そうおっしゃってくださったのでした。私たちに注がれたいのちは復活のいのち。私たちの生涯に豊かな愛の実を結ばせるばかりではなく、死の向かう側に永遠に続く、豊かな愛の実を結ばせてくださっているのです。

【いのちを憎む?】

続いて主イエスは、主イエスの与える新しいいのちの生き方を語ります。「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。」(25)と。「いのちを憎む」というのは強い表現ですが、十字架が最上の解説です。主イエスは十字架で私たちにいのちを与えることに夢中でした。ゲッセマネで「アバ、父よ…どうか、この杯をわたしから取り去ってください。」ともだえながらも「しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」(マルコ14:36)と、いのちを手放されたのです。主イエスはいのちを軽くにぎって、父におゆだねになったのです。自分のいのち、自分の思い、自分の好み、それらはみな神さまからの賜物です。けれどもそれらを軽く握って、その時が来たら手放すなら、神さまはその手放されたものから豊かに実を結ばせることができます。あなたが、そして、あなたを通して世界が豊かな実を結ぶのです。星野富弘さんの詩に「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちよりも大切なものがあると知った日、生きているのがうれしかった」(「花の詩画集」より)とあります。いのちより大切なもの、それは神との交わりです。神さまに愛され、愛することです。すでに「いのちよりも大切なもの」を持っている私たちは幸いです。「わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。」(26b)とおっしゃる主イエスが、この交わりのうちに私たちを保ってくださっています。

          
          (礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)


 礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「地の塩・世の光」マタイの福音書5:13-16


■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招詞:歴代誌第二16:9a(p.777) 「~現してくださるのです」まで
  • 賛美:10①⑤
  • 交読文:2 詩篇8篇(P.829)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 賛美:317①②
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書:ヨハネの福音書12章20-26節(新約P.208)
  • 説教:「一粒の麦の神」大頭眞一牧師 ※信愛より
  • 聖餐:
  • 賛美・献金:358①②③
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
  • 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • カテキズム:(左上に掲載)大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
  • 祈祷: