明野は今日、信愛は来週が、召天者記念礼拝。おりしも先週の主日、信愛の仲間がYouTubeライブで礼拝を守りながら召されていきました。悲しみでいっぱいの私たちに、主イエスは今日、何を語ってくださるでしょうか。み声に耳を傾けます。
【悲しみでいっぱいに】
今日の聖書の箇所でも、弟子たちは悲しみでいっぱいです。「むしろ、わたしがこれらのことを話したため、あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっています。」(6)。弟子たちの悲しみは、主イエスが去っていかれるから。もう目で見ることができなるから。これから先は、イエスさまなしに、自分たちだけで歩まなければならない、そう思って不安と恐れの中にいるのです。私たちもそうです。イエスさまを見ることができない私たち。特に、愛する者たちが先に召されてしまうとき、なんともいえない心のざわめきを感じる私たちです。愛する者たちはどうなってしまうのか。私たちはこの人ともう会うことができないのではないか、と。再臨、復活、頭ではよくわかっていても、やはり、心はざわめくのです。
【聖霊が降り積もり】
先週召された方が作詞し、配偶者の方が作曲された「Hope(希望)」という賛美があります。以前にもご紹介したことがあるのですが、その中に「私たちの上に聖霊が降り積もり」という言葉があります。聖霊が降り積もりというのは不思議な表現。聖霊は降る、というのが普通です。けれども、この表現は大切なことを教えているように思うのです。主イエスは「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。」(7)とおっしゃいました。そして十字架に架けられ、よみがえられ、天に昇って、聖霊を降してくださいました。でも私たちは、助け主である聖霊がすぐにはわかりません。そんな、わからない、心ざわめく私たちに聖霊は語り続けます。主イエスの愛が、私たちに沁みとおるように、降り続け、恵みを積もらせ、重ねてくださるのです。
【罪について、義について、さばきについて】
心ざわめく私たちも、ふと気づくと、聖霊によって、やはり主イエスの愛を心とたましいに刻んでいただいていることに気づきます、思い出します。「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。」(8)と、主イエスは三つの誤りを語ります。
「罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。」(9)は、罪の本質を明らかにします。それは、なにか悪いことをした、というのではありません。私たちを招いてくださっている主イエスを受け入れないこと。招かれている愛の交わりを拒絶すること、これが本当の罪です。先に召された私たちの愛する人びとは、主イエスを受け入れた人びと、本当の罪から解き放たれた人びとです。このことを喜びたいと思います。
「義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。」(10)の義は、救いの本質を明らかにします。聖書の義は正しい行いをすることではなく、神さまと正しい関係にあること。そして神さまとの正しい関係とは、愛の関係。もうおなじみの図のとおり、三位一体の神の愛の交わりの中で、神と共に、踊ること、生きることです。私たちの愛する、先に召された人びとはこのダンスに、ただ神のあわれみによって招かれ、招きを受け入れた人びとです。「さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。」(11)は、悪の力が十字架でさばかれたことを明らかにします。悪の力は私たちをかたくなにし、あるときは「自分など神の愛に値しない」と落ち込ませ、またあるときは、「自分の力でやっていける、神のあわれみなどいらない」と高ぶらせます。けれども、私たちの愛する、先に召された人びとは、悪の力から主イエスの力へと逃れた人びと。今は、主イエスの胸の中で、安全に安らいでいる人びとです。
心ざわめくときは、主イエスの十字架と復活に目を注いでください。私たちに降り積もっている聖霊が、私たちのためになにも惜しむことをされなかった主イエス愛を明らかにします。その聖霊は、私たちを放っておくことをなさらない主イエスが遣わされた助け主なのですから。
礼拝プログラム
■教会学校(9:30-10:15)
- 「婚宴への招き」マタイの福音書22:1-14
■主日礼拝(10:30-11:45)
- 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
- 招きの言葉:ルカによる福音書2:14(新約 P.110)
- 賛美:211
- 交読文:23 詩篇66篇(新聖歌 P.846)
- 牧会祈祷:大頭眞一牧師
- 主の祈り:新聖歌 P.826
- 賛美:233
- 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
- 聖書朗読:ヨハネの福音書16章4b-15節(新約 P.217)
- 説教:「御霊の神」大頭眞一牧師 ※明野より
- 聖餐:(心を合わせて加わりましょう)
- 賛美・献金:517
- 感謝祈祷:(明野)
- 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
- 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
- 祝祷:大頭眞一牧師
- カテキズム:(左上に掲載)司会者 と 報告:(裏面に掲載)司会者
- 祈祷:司会者