2023/11/13

召天者合同記念礼拝メッセージ「喜びを与える神」ヨハネの福音書16章16-24節 大頭眞一牧師 2023/11/12


明野は先週、信愛は今日が、召天者記念礼拝。愛する者たちが召され、残された私たちに「しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。」(20d)と主イエスの御声が響きます。そう言われても、とてもそうは思えない私たちは、どうすればよいのでしょうか。

【見えない主イエス】

主イエスがご自分の十字架と復活、昇天を語ったとき、弟子たちはそのことがよく分かりませんでした。主イエスはその弟子たちに、彼らが、そして教会が経験しなければならない悲しみを語ります。それは、やがて教会が経験する迫害もさることながら、それよりも、そんな迫害の中で主イエスが目に見えないことの悲しみです。私たちもまた、主イエスが目に見えないゆえに、「主イエスはほんとうにおられるのだろうか、主イエスの救いはほんとうなのだろうか」、と疑い、迷います。どんな信仰者であっても、です。マザーテレサを思います。

【再び会うイエス】

そんな弟子たちに、主イエスは「しかし、わたしは再びあなたがたに会います。そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。」(22bcd)と語ります。ここは誤解されやすいところ。やがてこの世の終わりに、主イエスが再臨するときのことだと、かん違いされることが多いのです。けれどもそうではありません。この世の終わりを楽しみに、今の悲しみに耐えなさい、というのではないのです。

主イエスは聖霊によって、今、私たちに会うとおっしゃるのです。「今、ここで。世の終わりにではなく、今、あなたがたの悲しみを喜びに満たそう。そのための十字架なのだ」と。

【悲しみを喜びに】

イエスはこのことを出産の苦しみにたとえます。「女は子を産むとき、苦しみます。自分の時が来たからです。しかし、子を産んでしまうと、一人の人が世に生まれた喜びのために、その激しい痛みをもう覚えていません。」(21)と。この「苦しみ」という言葉は、「しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。」(20d)の「悲しみ」と同じ言葉です。ですから、主イエスは私たちが今、味わっている悲しみを、単なる悲しみではなく、苦しみ、それも出産のように耐えがたい痛みをともなう苦しみだと、知ってくださっています。そして「あなたがたのその痛みをわたしがいやす。あなたの痛みを喜びに変える」とおっしゃるのです。

【父に求めるものは何でも】

「そんなことを言われても」と私たちは思います。私たちの愛する者が先に召され、そんな中で私たちは、主イエスを見ることができないのですから。ましてや「わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。」(23c)とは、どういうことか、と。「それなら、私たちの愛する者たちを返してください、そのように願えば、返してくださるのですか?!そんなことはしてくださらないでしょう。だから、そんなことは願いません」と、そのように思って、自分を納得させようとします。「神さまには、なにかご計画がおありなのだろう、私にはわからないけれど」と。

【痛む神】

けれども、神はわかのわからないお方ではありません。十字架を見るなら、神は痛む神、苦しむ神です。私たちのために、私たちと共に。ですから痛みの中にあるときには、イエスはそこにおられるのです。痛みが強ければ強いほど、なお近くに。

あるカトリックの司祭が「嘆きとは、信仰の破綻ではなく、信仰から出る行為である」と言っています。なぜなら、神さまは私たちの痛みを私たち以上にご存じで、私たち以上に味わっておられるからです。神さまに手加減をする必要はありません。「神さま、どうしてですか。神さま、愛する者を返してください」と訴え続ける。そうするとき、私たちの痛みの中に、神さまが入ってくださるスペースが生まれます。あなたの痛みから、悲しみから、神さまを締め出そうとしないでください。神さまと共に痛む。神さまに痛む心を差し出す。そうするときに神さまの癒しが始まります。私たちの想像もつかない、神さまのわざが。多くの時間をかけながら、深いところで。今はとてもイメージできないけれども、喜びとしか呼びようのないいやしが。

聖餐にあずかります。この食卓には先に召された、愛する方がたもともに連なっていることを覚えつつ。


(礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)



 礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「主の再臨に備える」マタイの福音書25:1-13
  • ※中高科は3階牧師室にてグループ聖書研究


■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招きの言葉:ルカによる福音書2:14(新約 P.110)
  • 賛美:20
  • 交読文:24 詩篇67篇(新聖歌 P.847)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 賛美:259
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書朗読:ヨハネの福音書16章16-24節(新約 P.218)
  • 説教:「喜びを与える神」大頭眞一牧師 ※信愛より
  • 聖餐:
  • 賛美・献金:216
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
  • 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • カテキズム:(左上に掲載)大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
  • 祈祷: