今年、最後の主日を迎えました。痛みと喜びとさまざまな思いのうちに今日を迎えたおたがいです。ただひとつ、それらのすべてを貫いて、主イエスの愛が注がれていたことを思いつつ、み声に耳を傾けましょう。
【闇の力のもとに】
マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書は「共観福音書」と呼ばれます。共通の視点から書かれているからです。それに対してヨハネは独特です。この個所でも、「それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやパリサイ人たちから送られた下役たちを連れ、明かりとたいまつと武器を持って、そこにやって来た。」(3)に「明かりとたいまつ」と記しているのはヨハネだけです。夜ですから明かりは当たり前です。けれども、ヨハネはこのことによって、世界を覆っている闇の深さを際立たせようとしています。光として世に来られたイエス、そのイエスを闇の力が覆いつくそうとしています。ユダの裏切り、祭司長や律法学者たちの妬み、それらを通して働く悪の力は強大です。私たちもしばしば恐れ、しゃがみ込んでしまいます。
【進み出るイエス】
しかし主イエスは、闇の力に圧倒されることはありません。「イエスはご自分に起ころうとしていることをすべて知っておられたので、進み出て、『だれを捜しているのか』と彼らに言われた。」(4)と自ら進んで行かれました。ですから主イエスは逮捕されたというよりは、ご自分を進んで、闇の力にゆだねられたのでした。闇の力に飲まれることによって、闇の力を飲みこむために。ご自分のいのちによって、悪の力を滅ぼすために。私たちを闇の力から解放し、いのちを与えるために。【わたしである】
「イエスが彼らに『わたしがそれだ』と言われたとき、彼らは後ずさりし、地に倒れた。」(6)の『わたしがそれだ』は『わたしである』と訳したほうがよいでしょう。モーセが神さまに名前を訊ねたとき、神さまが「わたしは『わたしはある』という者である。」(出エ3:14)と答えたことに由来します。モーセは、そしてイスラエルの人びとは、神の名を知ろうとしました。神を理解し、分かってしまいたい、自分の心の中にうまく収めてしまいたい、という願いの現れです。そうすれば、神さまに対してハラハラしなくてすむからです。こうやっとけば、だいじょうぶと安心できるからです。
けれども神さまは私たちの心に収められることを拒否します。世界の主人公は神さまだからです。出エジプトのように、私たちを立ち上がらせ、神さまと共に旅立たせます。私たちの想像を超えた祝福に向かって。神さまは私たちが理解できようができまいが「ある」お方です。私たちの想像を超えた喜びと祝福と共に「ある」お方なのです。
【地に倒れた六百人】
ユダが連れて来た「一隊の兵士」は、ローマ兵、通常六百人ほどで、千人隊長に率いられています。イエスが彼らに「わたしはある」と言われたとき、彼らは後ずさりし、地に倒れました。この「地に倒れる」という言葉は、クリスマスの東方の三博士がお生まれになったイエスの前に「ひれ伏した」のと同じ言葉。闇の力はイエスの前にひれ伏したのです。主イエスは神。その権威は圧倒的です。
けれども「シモン・ペテロは剣を持っていたので、それを抜いて、大祭司のしもべに切りかかり、右の耳を切り落とした。」(10a)とあります。ペテロは勇敢だったのではなく、恐れのあまりわけがわからなくなって、剣を振り回したのでした。私たちも危機の中で、恐れて、自分を守ろうとして、たがいに傷つけ合います。個人のレベルでも、国家のレベルでも。
けれども、そこに主イエスのみ声が響きます。「父がわたしに下さった杯を飲まずにいられるだろうか。」(11c)と。「闇の力も、あなたの恐れも、今、わたしが飲み干そう、だから恐れるな。闇は十字架の上で、わたしが滅ぼす。あなたがたは、光の中を歩め。神とともに、あなたの想像をはるかに超えて『ある』神と共に。そして、この世界に、もう闇が敗れたことを、みな顔を上げて光の中を歩むことができることを告げ知らせなさい」と。
礼拝プログラム
■教会学校(9:30-10:15)
- 「感謝の生活」コロサイ人への手紙3:15-17
■主日礼拝(10:30-11:45)
- 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
- 招きの言葉:ヨハネの福音書1章9節(新約 P.175)
- 賛美:137
- 交読文:31 詩篇100篇(新聖歌 P.853)
- 牧会祈祷:大頭眞一牧師
- 主の祈り:新聖歌 P.826
- 賛美:341
- 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
- 聖書朗読:ヨハネの福音書18章1-11節(新約 P.221)
- 説教:「杯を飲む神」大頭眞一牧師 ※信愛より
- 賛美・献金:330
- 感謝祈祷:
- 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
- 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
- 祝祷:大頭眞一牧師
- カテキズム:(左上に掲載)大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
- 祈祷:村島神学生