「疑い深いトマス」として有名なトマス。ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」(25a)と言ったのですが、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」(25b)と言います。主イエスはそんなトマスを訪ねてくださいました。
【八日後】
「八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。」(26a)とあります。ユダヤでは足掛けで日数を数えますから、当時の八日後は、今でいう七日後です。つまり復活の主日(日曜日)の次の主日です。その日、主イエスは復活を信じた弟子たちと、まだ信じることができないトマスに現れたのです。
キリスト教会は、このことが礼拝を象徴しているのだと語り継いできました。礼拝はすべての人に開かれています。礼拝に集う人びとのなかには、すでにイエスに出会い、イエスを主と告白し、復活したイエスと共に歩む人々もいます。しかし礼拝に集うのは、そのような人びとだけではありません。イエスに会いたい、イエスを信じたいと願いながらも、信じることができない人びともいます。あるいは、聖書の教えやキリスト教に興味はあるのだけれども、まだ納得できない、分からないという人びとも。
けれども主イエスはそんなすべての人びとを訪ねてくださいます。「戸には鍵がかけられていたが、」(26b前半)は、恐れや疑いに閉ざされた私たちの心も表しているのでしょう。そこへ、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」(26b後半)と言われたのでした。
ですから私たちはまだ信じることができないでいる人びとも礼拝に招きます。たとえその心が閉ざされていたとしても、主イエスが入ってくださいます。先週も申し上げましたが、信愛の召された方の言葉が心を離れません。「信仰は神さまが与えてくださるものだよ」と。信仰のないトマスに、信仰のない私たちに、主イエスが信仰を与えてくださるのです。私たちをあわれんで。主イエスを知らないままにしておいけなくて。
【わたしの脇腹に】
主イエスはトマスに言われました。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(27)と。これはなんともすさまじいお言葉です。カラバッチョの「聖トマスの不信」(1602年ごろ)では、主イエスがトマスの腕をつかんで、むりやりご自分の傷に指を入れさせています。トマスは主イエスの言葉だけで信じたと思いますが、この絵は主イエスのお心を表現したものでしょう。主イエスにとって耐えがたいのは、傷の痛みではありません。愛するトマスが、そして愛する私たちが信じることができないで、イエスと共に生きることができないことに、耐えることがおできにならないのです。そのために十字架に架かられ、そのために十字架の傷を差し出してくださるのです。【私の主、私の神よ】
主イエスの愛はトマスの告白を引き出しました。「私の主、私の神よ。」(28)は、人類の口から出た最もすばらしい言葉。さまざまな異端がイエスが神であることを否定する中で、この告白は教会の信仰の道しるべのひとつとなってきました。主イエスに出会うことは、主イエスの愛に出会うこと。そのとき私たちは愛をこめて「私の主、私の神よ」と申し上げます。
【見ないで信じる人たちは幸いです】
「見ないで信じる人たちは幸いです。」(29)はトマスを、また不信仰な者を叱咤する言葉だと誤解されがちです。けれども、「見ないで信じる人たち」とは私たちのことです。使徒たちのように復活の主イエスを肉眼で見たわけではないけれども、主イエスに出会い、主イエスの愛に出会い、主イエスの傷によって癒され、主イエスの復活のいのちに生きる私たち。その私たちに、主イエスは「あなたがたは幸いだ。わたしはあなたがたを喜ぶ。力の限り生きよ、力の限り愛せよ」と祝福してくださっているのです。
礼拝プログラム
■教会学校(9:30-10:15)
- 「十字架上のイエス」マタイの福音書27:45-56
■主日礼拝(10:30-11:45)
- 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
- 招きの言葉:ヨハネの福音書11章25節(新約P.205)
- 賛美:114
- 交読文:43 詩篇136篇(新聖歌 P.862)
- 牧会祈祷:大頭眞一牧師
- 証し:(明野)
- 主の祈り:新聖歌 P.826
- 賛美:101
- 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
- 聖書朗読:ヨハネの福音書20章24-29節(新約 P.228)
- 説教:「訪れる神」大頭眞一牧師 ※明野より
- 賛美・献金:113
- 感謝祈祷:(明野)
- 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
- 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
- 祝祷:大頭眞一牧師
- カテキズム:(左上に掲載)司会者 と 報告:(裏面に掲載)司会者
- 祈祷:司会者