天にまします我らの父よ。ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。御国〔みくに〕を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救い出〔いだ〕したまえ。国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン。
【罪の赦し?】
罪を赦すとはどういうことなのでしょうか。それは、罪が無かったことにすることではありません。罪人が受けるべき刑罰を免れさせることもまた、赦しの一部にすぎません。罪のゆるしとは、罪があるにもかかわらず、罪人を受け入れ、罪人を立てあげ、罪人を世界の回復のために仕える者とすること。その人本来の居場所、役割、使命にもどるのをゆるすこと。罪の奴隷から神の同労者にもどることをゆるすことです。
主イエスはこのことを放蕩息子のたとえで語られました。年老いた父は、赦しを乞う悔い改めの言葉をみなまで言わせません。そして、後継ぎのしるしの指輪までも身に着けさせるのです。もともと弟なので、後継ぎではないのに。また、主イエスは「あなたの罪は赦された」と語り、取税人や罪人と食事を共にしました。こうして罪の赦しが、罪びとの回復が、神の国が始まったのです。赦された私たちは罪悪感から解放されていきます。罪悪感に対する三つの誤った向き合い方に注意しましょう。
- 内向的になって想像上の罪悪感を生み出して悩む
- 罪悪感を否定する
- 罪悪感を抱えて自分を責め続ける
主イエスは十字架の上で、私たちを解き放ってくださったのですから。
【私たちが赦され、赦す】
「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。」には、気をつけなければならないことがあります。それは、私たちは神の赦しを得ることを目的に、他の人を赦すのではないことです。神に赦され、神の子とされた私たちの、自然な生き方が赦し合う生き方なのです。そんな生き方を通して、世界が新しくなっていくのです。
主の祈りを祈るとき、私たちの目はうめいている世界に向かって開かれて行きます。災害や戦争に痛んでいる人びとや、莫大な負債に苦しむ地域や国にも。神が私たちを通して、しようとしておられることが私たちの願いとなっていきます。祈りと生き方がひとつになるのです。
【負い目の赦し?】
マタイ版の主の祈りは「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。」(マタイ6:12)と「負い目」という言葉を用います。私たちに負い目を負っている人たちの中には、故意ではなく、偶発的に私たちを傷つけてしまった人もいるでしょう。けれどもその傷は残っています。そして私たちを苦しめます。けれども、神は癒しの神。時間をかけ、深いところから傷を癒してくださいます。「私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します」と祈るごとに、その祈りを用いて。
【放蕩息子の兄】
放蕩息子の兄もまた傷ついた人でした。弟の放蕩によって、苦労を背負わされたことによって。父が弟を喜んで迎えたことによって。そんな傷が、兄の心を頑なにします。けれども、父は、つまり神は語りかけます。「わたしといっしょに喜んでほしい。わたしと同じ心をもってほしい」と。この兄もまた癒され変えられていきます。「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。」と、主の祈りを祈ることによって。
礼拝プログラム
■教会学校(9:30-10:15)
- 信仰の学び⑬「十字架の意味③解放」
- 大頭牧師 ※全分級合同で3階牧師室にて
■主日礼拝(10:30-11:45)
- 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
- 招きの言葉:歴代誌第二16:9a(旧約 P.1239)
- 賛美:211
- 交読文:4 詩篇18篇(新聖歌 P.830)
- 牧会祈祷:大頭眞一牧師
- 主の祈り:新聖歌 P.826
- ワーシップ:「花も」Bless ※事前録画
- 賛美:203
- 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
- 聖書朗読:ルカの福音書15章11-32節(新約 P.149)
- 説教:「主の祈り④我らの罪を」大頭眞一牧師 ※信愛より
- 賛美・献金:340
- 感謝祈祷:
- 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
- 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
- 祝祷:大頭眞一牧師
- カテキズム:(左上に掲載)大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
- 祈祷: