2024/10/14

礼拝メッセージ「悲しむ者の主」マタイの福音書5章4節 大頭眞一牧師 2024/10/13


マタイ5章から7章の山上の説教。その最初にある主イエスの八つの祝福、私たちを祝福する八つの言葉を順に聴いています。今日は第二の祝福。「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」(4)です。

【よくある誤解】

よくある誤解は「悲しむ者」を「罪を悲しむ人」だと理解するもの。悲しむ人が幸いだなんて、確かに奇妙なことです。だから「悲しむ」を「罪を悲しんで、悔い改める」と読み替えようとするわけです。そうすると、「罪を悲しんで悔い改めれば赦されるから、その人は幸いだ」と一応の筋道が通ります。けれども問題は、「あなたがたは幸いだ!」という主イエスの祝福の宣言が「罪を悔い改めれば、祝福される」という条件つきに変わってしまっていることです。先週も語ったように、イエスはそのままの私たちを「幸いだ!」と祝福してくださっているのです。「悲しんでいるあなたがたは幸いだ!」と宣言してくださっているのです。

【悲しむ私たち】

私たちはそれぞれ、いろいろな悲しみを抱えています。愛する家族を失った悲しみがあり、自分や家族の病や、老いによる衰えの悲しみ、心の病や不安、孤独による悲しみもあります。物価上昇などによる経済的な困窮という悲しみ、自分の願う道が開かれない悲しみ、家族や隣人、職場や学校での人間関係がうまくいかないという悲しみもあります。私たちはときに、強い信仰をもてば、そんな悲しみなどないかのように進んでいけると勘違いすることがあります。けれども主イエスはそんなことはおっしゃっていません。人となられた神であるイエスは、まことの人として生き抜かれました。いわば、ハンディキャップなしに私たちと同じ悲しみを味わったのです。だからイエスは私たちを𠮟咤激励しているのではありません。私たちの悲しみをそのままの大きさで受けとめた上で、「その人たちは慰められる」と言うのです。

【慰めるイエス】

主語は神さまといつも申し上げています。「その人たちは慰められる」の主語も神さまです。神であるイエスが「わたしがあなたがたを慰める」と言うのです。主イエスは悲しみの原因をただちに取り除くと言っているのではありません。悲しみの原因がいつも取り除かれるのではないことは、家族を失った人たちは身に染みて知っています。けれども、主イエスはその悲しみの中に共にいてくださいます。そして私たちと共に嘆き、私たちと共に悲しんでくださっているのです。イエスは慰める方、けれども実はイエスご自身が慰めです。イエスは私たちにご自分という慰めを与えてくださっているのです。

【イエスの胸の中で】

「慰める」という言葉のもともとの意味は「かたわらに呼ぶ」です。イエスが私たちをかたわらに呼んでくださるのです。「慰める」という言葉はまた「励ます」や「勧める」とも訳される言葉。つまり、イエスは私たちを慰めてくださる、私たちをかたわらに呼び、主イエスと共に歩くことを励まし、勧めてくださっています。

そう言われても、と私たちは思います。かたわらに呼ばれる、「さあ、わたしのそばに来なさい」と言われても、そんな気力さえ起らない私たちです。むしろ、こんな悲しみを与えた神さま、あるいは、こんな悲しみが起こることをゆるす神さまへの怒りや失望を感じる私たちは、呼ばれてもイエスのかたわらに行くことができません。

それでも、だいじょうぶです。主語は神、そして動機は愛。動けないでいる私たちのかたわらに主イエスが来てくださっています。愛ゆえに私たちを放っておくことができないからです。悲しむ私たちは、結局のところ、イエスの胸の中で悲しんでいるのです。イエスの胸のなかで、イエスと共に。だから私たちはすでに主イエスの慰めのなかにいます。

【そしてイエスは】

そして主イエスはその悲しみのなかに意味を造り出すことがおできになります。自分がイエスの胸の中で悲しんでいることに気づいた人は、他の人にもその慰めを伝えることができます。「あなたは幸いなのだ、あなたはイエスの胸の中にいるのだから」と。そして「私たちはイエスの胸の中で、慰め合おう。イエスと共にあることを励まし合い、勧め合おう」と。こうして世界の破れの回復が始まっていきます。それは幸いなことです。心の痛む悲しみの中にあって、とても幸いなことなのです。


(礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)



礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 信仰の学び⑮「永遠のいのち」大頭牧師
  • ※全分級合同で3階牧師室にて

■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招きの言葉:歴代誌第一16:23(旧約 P.732)
  • 賛美:9
  • 交読文:12 詩篇33篇(新聖歌 P.838)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 証し:張荔(ちよう れい)神学生 ※明野より
  • 賛美:350
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書朗読:マタイの福音書5章4節(新約 P.6)
  • 説教:「悲しむ者の主」大頭牧師 ※信愛より
  • 賛美・献金:396
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
  • 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • カテキズム:(左上に掲載)大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
  • 祈祷: