2024/12/23

クリスマス礼拝メッセージ「御国を与える主」マタイの福音書5章10-12節 大頭眞一牧師 2024/12/22


クリスマスおめでとうございます。マタイ5章から7章の山上の説教。その最初にある主イエスの八つの祝福、私たちを祝福する八つの言葉を順に聴いていますが、今日は最後の第八の祝福、「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(10)です。

主イエスの復活そしてペンテコステの聖霊により誕生したキリスト教会は、ローマ帝国による激しい迫害にさらされることになりました。初期の教会の指導者のひとりテルトゥリアヌスは「殉教者の血は教会の種子」と記しています。迫害されてもキリスト教がなくなることはありませんでした。それどころか、ますます教会に連なる人びとが増し加えられていったのです。そしてついに紀元313年、ローマ帝国でキリスト教は公認されました。

けれども日本のような非キリスト教国では長く迫害が続き、今もその影響には根深いものがあります。ですから私たちは「迫害」と聞くと反射的に「殉教」を思い、自分にはとても無理だ、とうなだれることがしばしばです。

ところがそもそも教会は殉教を奨励していたわけではないようなのです。2世紀の殉教者ポリュカルポスによれば、殉教は自ら願ってするものではなく、なるべく避けるべきものだとされています。ですから殉教の焦点は死ぬことではなく、イエスと共に歩くことにあります。その中でさまざまな不利益をこうむることを避けないことがイエスの願い。その結果、時として殉教にいたることがあったとしても、殉教そのものが目的ではないのです。

【わたしのために】

この箇所が殉教の奨励ではない、では主イエスのおこころはなんでしょうか。この八福にはこれまでの七つとはちがうところがあります。それは11節と12節が続いていることです。「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。」(11-12)。

わたしのために」とあります。つまり主イエスのおこころは、私たちが主イエスを愛し、主イエスとともに歩くことを励ますことです。殉教したかどうかで私たちをふるいにかけることではありません。それならば!と私たちは言うことができます。「イエスさま、私たちはあなたを愛してあなたと共に歩んでいます。足りないこともしばしばですが、私たちは自分の心をあなたのおこころに重ねています。あなたのために不利益をこうむることがあっても、それでもあなたのために生きたいのです」と。

【喜べ!】

そんな毎日に「人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせる」ことが起こります。「クリスチャンのくせに」と周囲の人から言われることもよくあることです。それでも私たちは、ののしられてもののしり返さず、悪口に悪口をもってすることなく、愛を注ぎます。私たちを迫害する人びとのうちにある破れの回復のために。

ののしられるときに、喜べ!このイエスの言葉は不思議です。けれども理由があります。イエスは迫害されること自体を喜べと言っているのではありません。「天の御国はその人たち(迫害されている者)のものだから」(10b)、「天においてあなたがたの報いは大きいのですから」(12c)が理由。どちらも「もうすでに始まっている神の国(神の支配)、イエスが来られたことによって始まっている神の国。あなたがたはそこに入れられている。もう神と共に、イエスと共に、世界の回復のために働いている。その働きを通して世界は回復されている。だから喜べ!」と語るのです。思えば第一の祝福も「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(3)でした。第一福から第八福を貫いているのは「神の国(神の支配)がすでに始まっており、私たちがそこで働いていることの幸い」なのです。

【預言者たち】

「あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。」(12d)とあります。私たちは預言者たちも迫害されたのだから、みんながんばれ、と命じられているように感じるかもしれません。けれども、私たちが見つめるべきは預言者の中の預言者として来られたイエスです。イエスはその迫害の中で、十字架に架けられて罪と死の力を滅ぼし、復活によって私たちに新しいいのち、愛のいのちを注いでくださいました。だから、私たちは迫害の中で愛することができます。主イエスから愛の注ぎを受けて。そのすべては世界で最初にクリスマスに始まりました。メリー・クリスマス。メリー・メリー・クリスマス



(礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)



礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「救い主誕生の知らせ」ルカの福音書2:8-20

■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招きの言葉:イザヤ書49:13(旧約 P.1252)
  • 賛美:76
  • 交読文:22 詩篇65篇(新聖歌 P.845)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • ワーシップ:「HOPE(オリジナル)」「171 今日まで守られ」Bless ※事前録画
  • 賛美:77
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書朗読:マタイの福音書5章10-12節(新約 P.6)
  • 説教:「御国を与える主」大頭眞一牧師 ※信愛より
  • 賛美・献金:75
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
  • 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • カテキズム:(左上に掲載)大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
  • 祈祷: