2025/01/07

主日礼拝メッセージ「律法を成就する主」マタイの福音書5章17-20節 大頭眞一牧師 2025/01/05


明けましておめでとうございます。今年も、マタイ5章から7章の山上の説教から、続いて聴きます。

【一つでも破り?】

年末感謝礼拝で、「あなたがたは世の光です。」という主イエスの宣言を聴きました。何人かの方がたから「励まされた。うれしくなった」という声がありました。足りない私たちだけれども、すでに世の光とされていて、ますます主イエスが輝きを増してくださる、というのですから躍り上がりたいような喜びです。

ところがそんな方がたが、今日の箇所を読んでがっかりなさらないか、少し心配です。ここには「これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます」(19a)とか「あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。」(20b)といった、とてつもなく高い基準が要求されているように見えるからです。

【律法学者たちの義】

けれども、もちろん、主イエスは私たちを追い詰めるお方ではありません。律法学者やパリサイ人の義とありますが、彼らは主イエスからしばしば誤りを指摘されていたことを忘れてはなりません。

いつも申し上げることですが、「まず出エジプト、そしてシナイ山」。つまり、神さまは律法を守ったからイスラエルを救ったのではありません。なにもわからない、おそらくはエジプトで偶像礼拝にどっぷり浸かっていたイスラエル。神さまは、ただあわれに思って彼らを救い出されました。それが出エジプト。その後で、彼らをシナイ山に導き、神と共に歩く歩き方を教えました。それが律法です。それは神さまが、アブラハムとその子孫を通して、世界のすべての人びとを祝福するため。世界の破れを回復するパートナーとして、イスラエルを育てるためでした。

けれども、バビロン捕囚とそれに続く諸外国の支配の中で、律法学者やパリサイ人といったユダヤの宗教指導者たちは、律法を誤解するようになってしまいました。彼らは、律法を破れば、神さまの怒りをかう。すると他国の圧政という罰が続く、と考えたのです。麦畑事件というのがあります。安息日に空腹だったイエスの弟子たちが、麦の穂を摘んで、手でもみながら食べました。するとパリサイ人たちが「麦をもむのは脱穀という労働だから、安息日には禁じられている」と咎めたのです。イエスは「人の子は安息日の主です。」(ルカ6:5)と言います。世界の回復のために、イエスと働く弟子たちは、まさに律法の真髄を行っているのです。それを咎めるのは、神さまの心がまったく分からなくなってしまっているから。律法学者やパリサイ人たちには、神がどれほど世界の破れを痛み、その回復を願っておられるかがわかりません。まるで、神さまをほんの少しの規則からの逸脱もゆるさない、ただ厳格なお方だと思っていたのです。そして実際の律法よりも、さらに厳格な安全柵をめぐらすようにして、その中に自分たちを閉じ込めたのです。

【主イエスのまされる義】

けれども主イエスは私たちの心を、神さまを愛することに解き放ち、まわりの人びとを愛することに解き放ちます。「あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。」(20b)は、決してさらに厳格な安全柵を意味するのではありません。イエス・キリストの義のことです。主イエスは、私たちの救い主。大みそかの「今朝の黙想」では、「イエスは私たちの過去・現在・未来の救い主」と発信しました。人となり、十字架に架けられ、復活した神である主イエスの義は、恐れによって神の怒りを免れようとする律法学者の義にはるかにまさっています。主イエスは私たちに新しいいのちを注ぎ、あふれ出すまで愛を注いでくださるからです。

ある方が、「メッセージで、『傷つけられても、傷つけた側の心の破れを繕う私たち』と聞きました。でも私にはそんな大きな心がないです」と思いを打ち明けてくださいました。それは私も同じです。けれども、それでも、主イエスのまされる義は私たちに与えられています。受けた傷が深いときには、相手の破れを繕うどころか、相手の顔を見るのもいやなものです。けれども、そのことを悲しみ、それでも相手の破れを繕うことができたらよいのに、と願うあなたは確かに、律法学者やパリサイ人の義にまされる義に生きています。世の光なのです。主イエスは、そんな私たちをなおなお癒してくださいます。今、この礼拝の中で、またこの年を通じて。私たちの小さな光を喜び、たいせつに時間をかけて、じっくりと育ててくださいます。



(礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)



礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「キリストによる新創造」コリント人への手紙第二5:13-19
  • ※高校科はグループ聖書研究

■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招きの言葉:イザヤ書60:1(旧約 P.1269)
  • 賛美:20
  • 交読文:24 詩篇67篇(新聖歌 P.847)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 賛美:310
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書朗読:マタイの福音書5章17-20節(新約 P.7)
  • 説教:「律法を成就する主」大頭眞一牧師 ※信愛より
  • 聖餐:
  • 賛美・献金:355
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
  • 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • カテキズム:(左上に掲載)大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
  • 祈祷: