2025/03/17

主日礼拝メッセージ「使徒信条④イエス・キリストを信ず」マタイの福音書1章20-21節 大頭眞一牧師 2025/03/16

 


我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。アーメン

【私たちの主】

イエス・キリストは主である!私はイエス・キリストが私の主であると信じる!これは私たちの信仰の核となる告白です。ピリピでの出来事です。

「そして安息日に、私たち(パウロやルカたち)は町の門の外に出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話をした。リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。そして、彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、彼女は『私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください』と懇願し、無理やり私たちにそうさせた。」(使徒16:13-15)

ピリピ教会の誕生にはリディヤの「私は主を信じる」という信仰告白がありました。「主」とは、持ち主、飼い主。聖書は神を羊飼い、私たちを羊にたとえます。この羊飼いは羊を売って儲けることを考えません。羊を愛し、羊のために命を捨てる愛の主。ですから、リディヤは、そして私たちは、イエス・キリストを私たちを愛する主だと告白します。私たちのすべてが、私たちの罪も、弱さも、ふがいなさも、みな主イエスが担って引き受けてくださっている、そんな私たちはこのままで丸ごと抱きしめられている、と告白するのです。

【イエスという名】

宗教改革者ルターの1532年の説教の一部です。

「あなたは、このイエスという文字をどんなに大きく書き記してみてもそれで十分だということはありません。イエスというみ名のひとつひとつの文字でさえも、それだけで既に全世界にまさるとさえ言えるのです。ですから、よく学んでいただきたいことは、これがどんなに尊い名かということです。このみ名にまさるよいものは何もないのです。ただイエスというこのみ名だけです。なぜかといえば、この文字の中には初めから全ての人の罪が含まれてしまっているからです。全世界のすべての罪びとの罪がそこに詰め込まれ…悪魔でもいい、誰か人間でもいい、私に論争をいどむ時、いつもこう言うことさえできたらよいのだと思います。この幼な子の名はイエスだ。私がさいわいを得、罪から解放されたいと願うなら、ここに、ここにおられるこの幼な子のみ名はイエスと言われるのだ。このみ名のみを大いなるものとするのだ。このみ名をこころのうちに燃え立たしめ、光を放つものとすれば、それでよいのだ。」

このルターの言葉にアーメンということができる私たちは幸いです。たとえ誰が私たちの罪を責めたとしても、自分自身が自分を責めたとしても、打ち倒されてはなりません。人となられた神、イエスが私たちの罪を、弱さを、ふがいなさを引き受けてくださっているからです。そして「わたしが十字架に架けられたのだから、あなたは生きよ」とおっしゃってくださるからです。マタイに「彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。

「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」(1:20-21)

とあります。イエスはへブル語でヨシュア。ありふれた名前でしたが、その意味は「主なる神は救い」。まさにその名の通り、イエスは私たちの救いとなってくださいました。私たちは今朝もこのみ名をこころのうちに燃え立たしめ、光を放つものとします。

【キリストを信ず】

キリストはヘブライ語ではメシア、「油注がれた者」という意味です。旧約聖書で油注がれるのは、王と祭司と預言者。ですから教会は「キリストの三職」という言葉でキリストのなさったことを語ってきました。キリストは勝利の王。悪の力を打ち砕きました。十字架と復活で。キリストは人を神にとりなす祭司。自らを供え物として献げて。そしてキリストは預言者。その言葉とわざで私たちに生き方を教えます。ただ教えるだけではありません。復活のいのちを注いで、私たちをすでにそのように歩かせてくださっています。


(礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)



礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「レプタ2枚をささげたやもめ」ルカの福音書21:1-4

■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招きの言葉:イザヤ42:2-3(旧約 P.1235)
  • 賛美:9
  • 交読文:32 詩篇103篇(新聖歌/口語訳 P.854)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 賛美:117
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書朗読:マタイの福音書1章20-21節(新約 P.1)
  • 説教:「使徒信条④イエス・キリストを信ず」大頭眞一牧師
  • 聖餐: ※他教会は心を合わせて加わりましょう
  • 賛美・献金:376
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
  • 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • (各教会で)カテキズム、報告、祈祷